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5801 図書・図書館史 科目終末試験問題集 解答案

解答作成に必要な内容が重複する問題が複数あり、準備がしやすかった印象があります。

歴史研究系はどこまでも内容を深めることができるので、解答の詳しさについて一定の線引きが必要かもしれません。テキストを軸にして、必要に応じて参考書を参照して解答を作りました。

図書・図書館史 科目終末試験問題集解答案

1.
日本の古代の図書館の形成においては、儒教や仏教の伝来に負うところが大きい。漢籍や仏典がもたらされるに伴って、それらを安全に保管する入れ物の必要性が生じ、経蔵の設置が促された。
経蔵は、多くの場合において寺院に隣接して建てられ、資料の蓄積のみならず教育活動の場としても利用されていたという。利用者はおそらく僧籍関係者に限定されており、経典専門の書庫と想定されるが、資料を保存するという図書館機能の一部を有していた。
600年より始まった遣隋使や遣唐使の働きにより、大陸の諸文化が日本に導入され、朝廷は律令を参考として国家機構の整備に着手することになる。645年の大化の改新は律令国家形成を大きく進めたものであった。そのような改革によって導入された律令制度は文書中心主義であり、行政運営は文書なくしては成立しえないほどであった。国史編纂に加え、そのような行政関係文書や諸記録物が大量に生産されるに伴い、これらを収集・保管する機関が要請されるようになった。この役割を担った重要な機関の一つが図書寮である。
図書寮は、二官八省を設置した大宝律令によって定められた。八省の一つである中務省は他の省に比して文書が集中するところであり、記録保存機能が強く求められた。図書寮はこの中務省に属する図書の保管や書写を専門に扱う一寮である。具体的な任務として、次の5つがある。すなわち、①朝廷の図書の類を収集管理する、②国史を監修・編纂する、③宮中で求められる仏典・仏像の保管管理を行う、④書写、校正、装丁の工程管理をする、⑤紙、筆、墨を各省や写経所へ調達供給する、の5つである。また図書寮の直轄の官営事業として、朝廷や各省で使用する用紙を製造する紙屋院という工場があった。律令制度が形骸化する平安中期以降は精彩を失ったものの。当時のメディアセンターとしての役割を果たしていた。
文殿は、図書寮のような文書保管機関として役割を果たした施設である。各官司および内裏、院、摂関家、幕府などに設置された政府の記録庫である。年中発給する宣旨や官符の本書、草案、案文等の政府関係書類を保管し、これらを資料として公文を作成した。今日の古文書館、文書館に相当する機関であった。
以上が古代日本における図書館の萌芽と言える。

2.
平安時代中期においては、国風文化が成熟、発展した。仮名文字が成立し、文字に対する知識が普及し、『伊勢物語』や『枕草子』といった文学の発達が促され、書物の量が増し、貴族の間で学問研究のための文庫を邸内に設置するものが次第に輩出された。そのような文庫の代表的なものが、石上宅嗣の芸亭と菅原道真の紅梅殿である。以下でその詳細を検討する。
石上宅嗣は奈良時代末期の貴族・文人で、中国の古典に精通して漢詩を作る才能があり、学問に造詣も深く文人のかしらとして尊敬されていた。多くの官職を歴任し大納言にまで登りつめ、晩年は仏教に帰依した。その時に自分の邸宅を阿閦寺という寺にして、一角に設けた書斎が芸亭である。
芸亭は外典である儒教の典籍を収蔵し、好学の人々に開放された。このことから、芸亭は日本最古の公開図書館であるとされる。芸亭では図書の閲覧に加え、儒仏一体の教育的施設として講義や討論も行われたという。
菅原道真は学問の神様として今日でも尊崇されているが、彼は京都の邸宅に紅梅殿と呼ばれる書庫を所有していた。
紅梅殿は、道真が進士の試験に合格した折、文章博士であった父の是善から邸内の一部を書斎として与えられたもので、多くの図書を所蔵していた。道真は自身の学問の成就のみならず、菅原氏一門の子弟に書庫を解放した。子弟が多くなるに伴って廊下でも講義が行われるようになったことから菅下廊下と呼ばれ、進士への登竜門となった。紅梅殿の図書の所蔵量は相当程度のものであったことが予想され、限られた人への公開であったとはいえ、一種の私塾としての教育的機能を兼ね備えた機関として注目される。

3.
江戸時代末期においては、庶民の読書機関としての文庫が出現するようになった。この背景には近世商業主義の台頭によって庶民に実利学を要求するようになったこと、藩学の延長としての郷学や寺子屋の発達が読み書き、そろばんの重要性を認識させ、とりわけ文字の普及を促したことが考えられる。庶民大衆が文字に親しみを持つようになり、次第に一層の知識をもとめ、文庫や貸本屋のような読書施設や機関が求められ、それらを利用する機運が生じた。
文庫として有名なものに、浅草文庫や青柳館文庫がある。浅草文庫は江戸初期の医家であった板坂卜斎が江戸浅草に開いた私有の文庫で、一般に公開されていた江戸時代最初の公開図書館であったとされる。また、青柳館文庫は仙台の青柳文蔵が自身の蔵書を仙台藩に献上し、これに現代の司書のような目付を配置して公費で運営、一般庶民に公開した東北初の公開図書館であった。帯出制度も行われ、管理運営は近代公共図書館のそれとほとんど変わらないものである。
これらは個人的な性格の機関として発足したことから、公的な基盤が弱く近代の図書館として発展していくだけの体力を持っていなかったが、一般庶民のために開かれた図書館として親しまれ、利用されて今日の公共図書館的な機能を果たしていたという点で歴史的な意義が見いだせよう。
また、この時代において図書館以上の活動をしたとも評価できるものとして、貸本屋がある。文庫ではないが、庶民の読書機関として図書館の代行的な機能を担っていた。
貸本屋発生の背景には本の出版が盛んとなったことが考えられる。出版点数の増加に伴って読者も増加し、本屋が商売として成立するようになったのである。本屋は本を売るだけでなく、貸出も行うようになった。特に娯楽本や読み物類は行商本屋から借りて読む方式が一般的になり、見料を支払って読むのが読書の習慣となっていた。貸本屋が本を背負って行商して歩くことで、全国に本が届けられるようになっていた。

4.
徳川家に関連した幕府の文庫としては、紅葉山文庫と駿河文庫が挙げられる。
紅葉山文庫とは、徳川幕府の文庫として最初に設置された富士見亭文庫のことで、紅葉山に移されて以降にこう称されることとなった。日本初の官立図書館と位置付けられる、江戸幕府の参考図書館である。将軍の利用に供することを目的とした高度な専門書を所蔵し、幕府の権力と経済力によって十分な運営が行われていた。『本朝通鑑』の編纂を行うにあたって全国から集めた資料を書写した一部を納め、また6代将軍家宣の桜田文庫もこれに併合した。8代将軍の吉宗は唐本の入手に務めて幕府の法制整備の参考資料として利用したと言われる。蔵書には洋書も含まれていた。紅葉山文庫は幕府の機関であり、一般公衆の利用は考慮されていない。文庫から将軍への貸出を「差し上げる」といって、30日目には返却の催促があった。3代将軍の家光は「御書物奉行」という今日における司書を設置して、書物の管理に当たらせた。このようにして、徳川幕府の文庫は一般には公開されていなかったが、近世の学芸に寄与し、これを保存して当代の遺産として近代に伝えたことに歴史的な意義を見出せる。
紅葉山文庫は、明治以降には新政府の管理に入り、内閣制度制定に伴って内閣文庫となった。国立公文書館の内閣文庫に継承され、一部は宮内庁書陵部で保管されて今日に至っている。
駿河文庫は、徳川家康が駿河に引退後、資料の収集のために設置した文庫である。国史、系図、法典などの編纂と開版事業に役立てることが主な狙いであった。文庫の管理には林羅山が就任し、銅活字による『大蔵一覧集』11冊を125部印刷、『群書治要』47巻を刊行した。これらは駿河版と称される。駿河文庫は遺命により、徳川三親藩である尾張、紀伊、水戸の御三家に5:5:3の割合で分与された。この分与された本は駿河お譲り本と呼ばれている。

5.
日本の図書館史に登場した重要人物として、以下の5人が挙げられる。
まず1人目は、石上宅嗣である。彼は奈良時代末期の貴族・文人で、中国の古典に精通して漢詩を作る才能があり、学問に造詣も深く文人のかしらとして尊敬されていた。多くの官職を歴任し大納言にまで登りつめ、晩年は仏教に帰依した。その時に自分の邸宅を阿閦寺という寺にして、一角に設けた書斎が芸亭である。芸亭は外典である儒教の典籍を収蔵し、好学の人々に開放されたことから、芸亭は日本最古の公開図書館であるとされる。芸亭では図書の閲覧に加え、儒仏一体の教育的施設として講義や討論も行われた。
2人目は、ヴァリニャーノである。彼はイタリア人のキリスト教伝道師で、西洋の印刷術を日本に導入した。3度来日し、信長に謁見、4人の日本人少年をローマ教皇庁とポルトガル国王の下へ派遣する企画を立案したのち、彼ら4人を帯同して帰国の際には活字印刷機を携行していわゆるキリシタン版を開版した。金属活字は約50年で途絶えたが、印刷出版事業の展開に寄与した。
3人目は、徳川家康である。家康は徳川幕府の文庫として富士見亭文庫、後の紅葉山文庫を設置したほか、駿河に引退後には駿河文庫を設けて資料の収集にあたった。元来学問を好み、図書を愛していたことに加え、応仁以来100年余りの間騒乱が続き、天下の書籍が悉く散逸したのを嘆いたことが図書収集の動機となって広く内外の書籍を購求したとされる。
4人目は、北条実時である。鎌倉時代の中頃、武家の文庫である金沢文庫を設置した。実時は学問熱心であったとされ、政治、法制、軍事、文学など広範囲の学んだ書物が文庫の基礎を成している。金沢文庫の利用には規定があり、公開的な図書館ではなく金沢氏個人の文庫の性格が強く、一部の関係者や僧侶に限定されていたとみられる。しかし、関東における文化のメッカとして図書館史上で際立った存在と評価できよう。
5人目は、福沢諭吉である。福沢諭吉は欧米諸国の事情を日本に紹介した最初の人物である。1861年に遣欧使節の一人として諸外国を訪れ、『西洋事情』を著した。この著作において、西欧の図書館が如何なるものか、また、納本制度についての紹介を行い、明治期の図書館運動の出発点として以降に大きな影響を与えたとみられる。

6.
戦後に制定された図書館関係の法体系は、以下のように整理できる。
戦後の図書館はアメリカの指導のもとで再出発した。GHQの要請によりアメリカ教育使節団が日本の教育民主化政策を推進するため2度来日し、『米国教育使節団報告書』として図書館改革構想を含む提言を報告書にまとめた。そののち、1950年に図書館法が制定されたが、その法案成立にあたってはアメリカ側の指示があったという。図書館法では、公共図書館について、その設置及び運営に関して必要な事項を定めている。司書の職務規定と資格、図書館サービスなど新しい図書館の在り方が示されたものとして注目された。
また、1948年には国立国会図書館法が制定され、国の中央図書館としての国立国会図書館が誕生していた。国立国会図書館はアメリカ議会図書館に範をとり、納本制度の実施、日本全国書誌など各書誌の作成、国会議員への調査・研究支援、一般国民へのサービス、対図書館サービス、図書館協力などが任務として規定されていた。
学校関係の法律については、1950年に設立された全国学校図書館協議会が中心となって推進を図り、1953年に学校図書館法が制定された。この法律では、学校に学校図書館の設置を義務としたこと、司書教諭の制度を不十分ながらも確立したことが特色として挙げられる。
以上が戦後の図書館に関する法体系である。戦後日本においては、アメリカ主導のもとで民主化政策がすすめられ、法体系が整備され、そして新しい図書館像が示されたといえよう。

7.
戦後に日本図書館協会が関係した図書館の基準や決議としては、以下のものが挙げられる。
まず、1963年に出された運営基準である『中小都市における公共図書館の運営(通称『中小レポート』)』が挙げられる。これはアメリカ主導のもとで民主化政策がすすめられ、法体系が整備され、そして新しい図書館像が示されたにも関わらず、衣食住に事欠く時代において図書館サービスは旧態依然のものであったことを憂慮した図書館員たちが日本図書館協会中小公共図書館運営基準委員会を立ち上げて提起したものである。日本の公共図書館は市民にサービスをしてこなかったという反省のもと、公共図書館の役割は民主主義の基礎を成す知的自由の保障にあるという認識に至り、中小の図書館を図書館の中核として位置づけ、従来の大図書館追従の考えの転換を図って館外奉仕を強調した。具体的な目標は次の3点にまとめられる。すなわち、①図書を気軽に館外貸し出しする、②徹底した児童サービスを行う、③図書館を身近に置くことをねらって、全域へのサービス網を張り巡らせる、の3つである。この中小レポートをもとに全国各地に新しい図書館や分館が誕生するとともに、家庭文庫や地域文庫、子ども文庫が育成され始めた。1970年には、日本図書館協会によって『市民の図書館』が刊行された。これは「中小レポート」の理念をベースとした実践編として、1970年代の市立図書館の発展に重要な指針をもたらした。資料提供を第一の原則とし、館外貸し出しを伸ばすために読書案内、予約サービスなどを提唱した実践の手引書として役割を果たした。
1954年に全国図書館大会において採択された「図書館の自由に関する宣言」は、1979年に改訂版が承認された。図書館の使命は市民に「知る権利」「知る自由」を保障していく機関であることを示し、この任務遂行のために、①資料収集の自由、②資料提供の自由、③利用者の秘密の厳守、④検閲に反対、の4点を確認した。これら図書館の自由が侵害される場合には団結し、その自由を守ることを唱っている。
1980年には図書館協会総会において「図書館員の倫理綱領」が決議された。図書館員の基本的態度に関する12項目を自律的規範として掲げている。

8.
図書館における電子化の経緯、その課題は以下のように整理できる。
1970年代より、コンピュータの普及と高度化が進み、情報社会論が盛んに論じられ、国立国会図書館や大学図書館の機械化が急ピッチで展開された。
1973年には学術審議会学術情報分科会から「学術情報流通体制の改善について」という報告がなされ、1980年に学術審議会で「今後における学術情報システムの在り方について」という答申が行われた。その後も続いて文部科学省から情報政策に関係する報告が発表され、1996年に学術審議会は「大学図書館における電子図書館的機能の充実・強化について」の建議を行った。ここで、大学図書館における電子図書館的機能の整備の必要性については以下6つの理由があげられた。すなわち、①情報ニーズの増大と多様化、②電子的情報資料の増大、③資料保存機能の向上、④資料の有効利用、⑤情報検索機能の向上、⑥情報発信活動の支援、である。
1986年に学術情報センターが開設され、文献検索をはじめとした図書館のインフラの中心機関として活動を始めた。書誌情報の電子化は資源共有への認識を深め、図書館協力のグローバル化を促した。2000年には学術情報センターを改組・拡充して国立情報学研究所が設置された。ここでは情報学に関する総合研究を行うとともに、学術情報の流通のための先端的な基盤の開発と整備を行うことを目的としている。
文部科学省は公共図書館のサービスについて、新たな視点とその方策についての報告書である「これからの図書館像―地域を支える情報拠点をめざして―」を2006年に公表した。図書館にもとめられる新たな視点のうちに、紙媒体と電子媒体の組み合わせによるハイブリッド図書館の整備、多様な資料の提供といったものを挙げている。
図書館の電子化に関わる課題としては、図書館サービスの新たな枠組みの要請が挙げられよう。今後図書館で取り扱う情報資源としては、紙媒体のみならず電子媒体によるものの増加が見込めるだろう。そのような新たな情報資源の提供に堪えるような図書館サービスの整備が必須である。今後の図書館の方向性を模索しつつ、情報化社会という新たな時代における図書館として適切な体制の整備が求められよう。

9.
西洋古代における様々な記録媒体と図書館の関係は、以下のように整理できる。
西洋古代の図書館として、ニネヴェの王室図書館がまず挙げられる。この図書館に納められていたのは楔形文字を用いて粘土板に書かれた図書であった。アッシュールバニパル王によって収集されていた粘土板の図書は、宗教、政治、歴史、科学、文学、神話、政府の記録物など、あらゆる分野に渡っていた。
アレクサンドリア図書館は、古代と中世を通じて世界最大の規模を誇り、浩瀚な文献の週蔵書として広く知られている。アレクサンドリアはヘレニズム最大の都市であり、貿易、学芸の中心であった。アレクサンドリア図書館は博物館と並んで当時最大の知識の生産所であり、学問のメッカであった。学問を求めて世界各地から図書館を訪れる人が増えるにつれて、都市は外貨に富み、利益で潤っていった。プトレマイオス1世によって創設され、学術文化の中心地としてギリシャ文化の保護とその発展に情熱を注いだ。プトレマイオス2世の時代になると一層文献収集に注力され、インドに派遣して収集を図ったほどである。資料の内容は百科全書的であったとされる。アレクサンドリア図書館における図書はパピルスで出来た巻軸図書であった。アレクサンドリア図書館には写本を専門とする職員がおり、また書写生の養成も行われていた。また、カリコマスによってピナケスという総合目録も作成されている。アレクサンドリア図書館はヘレニズムの一大文化センターであり、学術文献の網羅的収集のみならず、目録の編成、辞書類の編集、ギリシャ語への翻訳などといった資料の保存機関や研究機関としての役割を果たすとともに、生産された写本を市販するなど文献の生産機関としても機能した。アレクサンドリア図書館と同様にパピルスによる図書を収集したものとして、アリストテレス文庫やローマの図書館が挙げられる。
ペルガモンの図書館は、パーチメントを書写の材料として図書を収集していた図書館である。パーチメントは冊子形式を採ることができ、まだ両面にも書くことができた。高価ではあったが丈夫であったので、グーテンベルクの印刷術と紙の出現まで、一般的に流布することとなる。中世の修道院ではパーチメントを利用して書写が行われ、手作りの図書が生産された。

10.
アレクサンドリア図書館は、古代と中世を通じて世界最大の規模を誇り、浩瀚な文献の週蔵書として広く知られている。アレクサンドリアはヘレニズム最大の都市であり、貿易、学芸の中心であった。アレクサンドリア図書館は博物館と並んで当時最大の知識の生産所であり、学問のメッカであった。学問を求めて世界各地から図書館を訪れる人が増えるにつれて、都市は外貨に富み、利益で潤っていった。プトレマイオス1世が創設し、アレクサンドリアを学術文化の中心地としてギリシャ文化の保護とその発展に情熱を注いだ。プトレマイオス2世の時代になると一層文献収集に注力され、インドに派遣して収集を図ったほどである。収集した資料の内容は百科全書的であったとされる。アレクサンドリア図書館における図書はパピルスで出来た巻軸図書であった。アレクサンドリア図書館には写本を専門とする職員がおり、また書写生の養成も行われていた。また、カリコマスによってピナケスという総合目録も作成されている。
アレクサンドリア図書館はヘレニズムの一大文化センターであり、学術文献の網羅的収集のみならず、目録の編成、辞書類の編集、ギリシャ語への翻訳などといった資料の保存機関や研究機関としての役割を果たすとともに、生産された写本を市販するなど文献の生産機関としても機能したという点で、古代文明へ大きく寄与したと評価できよう。

11.
西洋中世の修道院図書館における写本生産には、以下のような歴史的な意義が認められる。
中世の図書館はキリスト教会やその修道施設である修道院がギリシャやローマの文化、この時代の学芸を後世に伝える橋渡しとなっていた。修道院図書館は写本室を必ず設けており、主にキリスト今日関係の図書やギリシャやローマの古典類の書写を行った。写字生という専門家によって書写され、図書は一冊ずつ手作りで生産され、近世への文化の伝承者として歴史的に重要な役割を果たしていた。
モンテカシーノ修道院図書館では、キリスト教関係の図書に加えて、ギリシャ、ラテンの古典文学を含む多数の写本が収集された。また、度重なる破壊の後に再興されると、カシーノ式写本や彩飾画など、中世期を代表する多くの図書が生産された。
ヴィヴァリウム修道院図書館においては、礼拝勤行の時間以外は神学及び古典の研究に充てられ、書写や保存作業、ギリシャやローマの原典類も翻訳された。
以上のように、修道院は信仰の場であると同時に図書生産の中心であり、文化保存の場でもあった。

12.
中世ヨーロッパにおける教育の推進に関して、キリスト教会が果たした役割は大きい。中世の文化を促したものとしてキリスト教会やその修道院が中心として挙げられるが、中世後期においては都市の興隆や学問の発展、教会の閉鎖性からの脱却などによる、大学誕生の機運が高まっていった。宮廷学校や修道院付属の教育機関が知的水準の飛躍を求めて大きな推進母体となっていった。著名なものとして、パリ大学やソルボンヌ図書館が挙げられる。パリ大学はローマ教会とフランス政府をバックに教師陣のギルドとして発達したものである。大学発生期においては、学問を志す者が優秀な教師を慕ってヨーロッパ中を訪ね歩いていた。次第に学問の中心が定まったところで共同体が形成され、大学として成立していくのであった。この背景には、托鉢修道会、特にフランシスコ会やドミニック会の協力があった。一方で、最古の大学であるボロニア大学は修道院や司教学校との結合がなかった。
一般に、大学図書館は修道院図書館を受継いだものとして、大きな変化は見られなかったが、大学の図書館においては学問研究の場として学科別や研究主題のグループ別に図書が分かれており、修道院図書館が宗教色一辺倒で他の図書と区別してあったことが相違点として挙げられる。

13.
活字印刷は近世における図書館の在り方に以下のように影響し、進歩させたと整理できる。
活字印刷術の発明により、図書が大量に、安価で生産されることが可能となった。その結果、広範囲の人々に図書が行き渡って教育の普及が一層促進されると同時に、図書館における貸出についても考え方が変化してきた。また、図書の増大は保管方法にも変化をもたらした。箱や書見台に置かれていたものが書架に並べられ、公開を促す要因のひとつとなった。また、中世の図書館において隣接されていた書写室は印刷室にとって代わっていった。以上のように、活字印刷による図書の増大によって、図書館では貸出が行われ、公開制が促進されて近代図書館の姿により近接するようになったのである。

14.
西洋の図書館を日本に紹介した先覚者として、以下の人々が挙げられる。
まず、福沢諭吉である。福沢諭吉は欧米諸国の事情を日本に紹介した最初の人物である。1861年に遣欧使節の一人として諸外国を訪れ、『西洋事情』を著した。この著作において、西欧の図書館が如何なるものか、また、納本制度についての紹介を行い、明治期の図書館運動の出発点として以降に大きな影響を与えたとみられる。
次に、市川清流が挙げられる。彼もまた幕府の遣欧使節に随行して西洋の図書館に触れてカルチャーショックを受け、帰国後に書籍院建設の建白書を文部大輔に上申し、図書館の重要性を唱えた。
また、文部大輔の田中不二麻呂も先覚者の一人である。岩倉具視の欧米視察旅行に随行し、各国の図書館を視察した記録として『特命全権大使米欧回覧実記』として報告した。明治10年には文部省年報に「公立書籍館の設置を要す」という論文を発表し、啓蒙活動にあたった。
これらの先覚者たちの努力によって近代日本の図書館は動きはじめ、今日の姿へと繋がっているのである。

15.
日本における古代図書館の歩みは次のようにまとめられる。
まず、文字情報の伝来が図書館形成の萌芽として挙げられる。大陸より儒教や仏教が伝来し、この文献を安全に保管する必要性が高まり、資料保存という図書館機能を持つ経蔵の設置が促された。
また、律令国家の形成に伴って行政運営が文書によって行われるようになり、行政文書や諸記録物を収集・保存する機関の要請に応えたものが、図書寮である。図書寮は、二官八省を設置した大宝律令によって定められた。八省の一つである中務省は他の省に比して文書が集中するところであり、記録保存機能が強く求められた。図書寮はこの中務省に属する図書の保管や書写を専門に扱う一寮である。具体的な任務として、次の5つがある。すなわち、①朝廷の図書の類を収集管理する、②国史を監修・編纂する、③宮中で求められる仏典・仏像の保管管理を行う、④書写、校正、装丁の工程管理をする、⑤紙、筆、墨を各省や写経所へ調達供給する、の5つである。また図書寮の直轄の官営事業として、朝廷や各省で使用する用紙を製造する紙屋院という工場があった。律令制度が形骸化する平安中期以降は精彩を失ったものの。当時のメディアセンターとしての役割を果たしていた。
平安中期以降においては国風文化が成熟、発展した。仮名文字が成立し、文字に対する知識が普及し、『伊勢物語』や『枕草子』といった文学の発達が促され、書物の量が増し、貴族の間で学問研究のための文庫を邸内に設置するものが次第に輩出された。そのような文庫の代表的なものが、石上宅嗣の芸亭と菅原道真の紅梅殿である。以下でその詳細を検討する。
石上宅嗣は奈良時代末期の貴族・文人で、中国の古典に精通して漢詩を作る才能があり、学問に造詣も深く文人のかしらとして尊敬されていた。多くの官職を歴任し大納言にまで登りつめ、晩年は仏教に帰依した。その時に自分の邸宅を阿閦寺という寺にして、一角に設けた書斎が芸亭である。芸亭は外典である儒教の典籍を収蔵し、好学の人々に開放された。このことから、芸亭は日本最古の公開図書館であるとされる。芸亭では図書の閲覧に加え、儒仏一体の教育的施設として講義や討論も行われたという。
以上が古代の図書館の歩みである。

16.
中世日本においては貴族に代わって武家が台頭してきた。文化の面でも武家の文化が成立し、特に金沢文庫と足利学校の文庫は今日にその面影を伝えるものとして、文化史上貴重な中世資料の宝庫となっている。
北条実時は鎌倉時代の中頃、武家の文庫である金沢文庫を設置した。実時は学問熱心であったとされ、政治、法制、軍事、文学など広範囲の学んだ書物が文庫の基礎を成している。金沢文庫の利用には規定があり、公開的な図書館ではなく金沢氏個人の文庫の性格が強く、一部の関係者や僧侶に限定されていたとみられる。しかし、関東における文化のメッカとして図書館史上で際立った存在と評価できよう。北条氏の滅亡後は文庫の管理は称名寺にゆだねられたが、管理が行き届かず次第に書物は散逸してゆき、仏教関係のものだけが残った。金沢文庫の隆盛は民衆の間に学問が広まった証左である。特に、武士や僧侶は学問の研鑽の必要に迫られてきたものとうかがえる。北条氏滅亡後も図書館と学校を兼ね備えた機能は存続し、各地から好学のものが集まってきたが、創立当時の積極性は見られなかった。
足利学校は現代に残る日本最古の学校と言われており、室町時代にあって、武家への助言者を養成する機関として造られたものである。足利学校の教育方針は儒学中心で、とりわけ易学と兵学に注力されていた。入学者は僧侶に限られていたにも関わらず仏教を度外視していた所以は、実利を重んじ、成業後は武士の教育にあたった戦国時代の要請であろう。足利文庫の文庫は金沢文庫ほどの精彩はなかったが、武人から多くの図書が寄進され、特に易学の典籍は豊富であった。図書利用に関しては、貸出は禁止、閲覧は一冊に限定、書き込みや切り抜きの禁止、季節ごとの本の手入れをすることが通達で定められていたとされる。江戸時代に入ると司籍が図書の管理に当たることになっていたが、次第に管理は手薄になり多くの図書も散逸した。
以上のような武家文庫が、中世日本の図書館としての役割を担っていたのである。

17.
戦後の日本の図書館界が大きく転換した契機の一つに、いわゆる中小レポートの刊行が挙げられる。1963年に出された運営基準である『中小都市における公共図書館の運営(通称『中小レポート』)』は、アメリカ主導のもとで民主化政策がすすめられ、法体系が整備され、そして新しい図書館像が示されたにも関わらず、図書館サービスが旧態依然のものであったことを憂慮した図書館員たちが日本図書館協会中小公共図書館運営基準委員会を立ち上げて提起したものである。日本の公共図書館は市民にサービスをしてこなかったという反省のもと、公共図書館の役割は民主主義の基礎を成す知的自由の保障にあるという認識に至り、中小の図書館を図書館の中核として位置づけ、従来の大図書館追従の考えの転換を図って館外奉仕を強調した。具体的な目標は次の3点にまとめられる。すなわち、①図書を気軽に館外貸し出しする、②徹底した児童サービスを行う、③図書館を身近に置くことをねらって、全域へのサービス網を張り巡らせる、の3つである。この中小レポートをもとに全国各地に新しい図書館や分館が誕生するとともに、家庭文庫や地域文庫、子ども文庫が育成され始めるなど、戦後の図書館サービスの展開が大きく進んだのである。また1970年には、日本図書館協会によって『市民の図書館』が刊行された。これは「中小レポート」の理念をベースとした実践編として、1970年代の市立図書館の発展に重要な指針をもたらした。資料提供を第一の原則とし、館外貸し出しを伸ばすために読書案内、予約サービスなどを提唱した実践の手引書として役割を果たした。

18.
現在の公共図書館のサービスにおける先進的な取り組みとして、電子書籍サービスが挙げられる。この現状を踏まえた、近い未来の本と図書館についての所感は次の通りである。
今後の図書館の方向性に関して、まずは課題を明確にして取り組むべきであろう。具体例として先述の電子書籍サービスを挙げるが、差し当たりの課題としては対応環境の拡充とコンテンツの拡充が挙げられるだろう。電子書籍サービスを提供している図書館としては千代田web図書館が有名であるが、電子書籍を閲覧できる対応環境が限られていることや、そもそも電子書籍として流通しているものとして、ニーズが高い資料のコンテンツの拡充が待たれることが課題として残されている。
また、図書館の機能として資料の貸出、閲覧サービスに集中して注力していることへの反省も求められる。今後は市民のもとめる情報拠点として、課題解決支援サービスの拡充が期待されよう。

19.
1963年に出された運営基準である『中小都市における公共図書館の運営(通称『中小レポート』)』は、アメリカ主導のもとで民主化政策がすすめられ、法体系が整備され、そして新しい図書館像が示されたにも関わらず、衣食住に事欠く時代において図書館サービスは旧態依然のものであったことを憂慮した図書館員たちが日本図書館協会中小公共図書館運営基準委員会を立ち上げて提起したものである。日本の公共図書館は市民にサービスをしてこなかったという反省のもと、公共図書館の役割は民主主義の基礎を成す知的自由の保障にあるという認識に至り、中小の図書館を図書館の中核として位置づけ、従来の大図書館追従の考えの転換を図って館外奉仕を強調した。具体的な目標は次の3点にまとめられる。すなわち、①図書を気軽に館外貸し出しする、②徹底した児童サービスを行う、③図書館を身近に置くことをねらって、全域へのサービス網を張り巡らせる、の3つである。この中小レポートをもとに全国各地に新しい図書館や分館が誕生するとともに、家庭文庫や地域文庫、子ども文庫が育成され始めるなど、日本の図書館界に大きな転換をもたらしたものと評価できる。また1970年には、日本図書館協会によって『市民の図書館』が刊行された。これは「中小レポート」の理念をベースとした実践編として、1970年代の市立図書館の発展に重要な指針をもたらした。資料提供を第一の原則とし、館外貸し出しを伸ばすために読書案内、予約サービスなどを提唱した実践の手引書として役割を果たした。
以上のように、中小レポートは貸出サービスの展開を図ることによって図書館を市民にとって身近なものとする図書館観の転換に成功したが、次のような課題が残されているように思われる。すなわち、「貸出至上主義」「無料貸本屋」といった批判に表れるような、図書館サービスの中心は資料の貸出であるというイメージの克服である。資料の貸出サービスを維持しながら、今後はレファレンスサービスや課題解決支援サービスなど、情報社会と呼ばれる時代に堪え、市民の要望に応えうるような図書館の機能の展開が求められるだろう。

20.
情報社会と呼ばれる今世紀の図書館の課題として、様々な情報資源を収集し、提供していくことが挙げられる。
現代社会の基盤となっているのはサービスと情報で、図書館においてはコンピュータの登場によって図書館の物理的な壁は取り払われつつあり、図書館間の協力体制の進展、グローバルな形での情報の入手が可能となっている。このため、図書館が扱う情報資源の量は膨大なものとなり、そのような情報資源のうち電子化されたものも、増加の一途を辿っている。
上記のような状況のもと、図書館が抱える課題は多数であるが、具体例の一つとして電子書籍に関する対応に目を向けたい。今日においては、千代田web図書館のような非来館型の電子書籍サービスを提供する図書館が出現してきている。これによって従来図書館サービスを利用するのに不自由を抱えていた障害を持つ人などのアクセシビリティを保障できるとともに、一般の利用者に関しても利便性が向上し、また最新技術に触れるという点で生涯学習にも資する可能性もある。電子書籍サービスを今後も展開していく上で差し当たり課題となっているのは、電子書籍の対応形式の拡充と、電子書籍のコンテンツの拡充である。様々な情報を収集し、提供していくことを図書館の役割として取り組むうえでは、電子書籍サービスに係る諸課題は喫緊のものであるだろう。

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