希望が与える自由

あけましておめでとうございます。

先日、『ショーシャンクの空に』を観ました。恥ずかしながら、初めて観ました。希望を持って生きること、自由であることについて、気づきの大きい映画ですね。

以下ちらほらネタバレしているので、まだ観たことのない方はご注意ください。

自由が希望を育み、希望が自由を連れてくる

本当に本当によかった。(雑)

自由であることって、自分の思うままに振る舞えることや自分の好き勝手に行動出来ることとは違うように思う。無意識に自分に課している制約の存在に気付き、それを超えていくことでは、ないのかなあ。囚人であるアンディは、確かに不自由この上ない日々を生きていたけれど、希望を持つことは止められない、希望を持つことは自分の裁量で選びうるのだと気づいていたという点で、塀の外の人々以上に自由だった。

遺産相続のアドバイスをしたこと、教育資金の相談に乗ったこと、申告の処理を手伝ったこと、図書室を充実させたこと、、。

その姿に人として惹かれ、周りの囚人だけでなく所長にも信頼されることとなり、それらはアンディを再び名実ともに自由の身にした。最初からそこに打算があったようには思えない。

自分が出来ることを探すこと。自分という歯車を、与えられた環境の中で最大限に活かすこと。囚人だからと諦めるのではなく、不自由な暮らしの中でより良く自分らしく生きることを実践しただけ。

希望を持って自由に生きたから、アンディは自由になり、レッドも自由にさせた。自由な心が希望を育み、その希望が自由を連れてきてくれた。

自由に生きること

どんな暮らしをしていても、自由に生きることってできるはずですよね。

Instagramで仲良くさせてもらってるmariさんの投稿に次のようなものがありました。

結婚したし、ウサギ飼ってしまったしで、自由が無くなってきて、超ストレス!!!

他の投稿を見てもらえるとわかると思いますが、mariさんは本当に行動力のある方で好きなものが常に大渋滞で、見ていると元気をもらえる方で、私は大好きです。

ただ、彼女のこの一言に関しては同意出来ず、ちょうどショーシャンクの空にを見終わってばかりだったので、むむむと考えさせられました。

どんな状況にあっても、自分に課している制限に気づいて、それから自由になることは出来る。不自由の理由を外に求めている限り、いつまでたっても自由にはなれないんじゃないかと思います。

私は現在沖縄の名護市に住んでいて、仕事を辞めて、毎日娘のお世話をして過ごしています。

名護市は那覇から車で約2時間。どこに行くにも時間がかかる。セブンイレブンもない丸善もないスターバックスもない。

仕事を辞めて自由に使えるお金も少なくなったし、子供を産んでから毎日があっという間に終わる。勉強する時間も本を読む時間も映画を見る時間も、昔に比べると格段に減った。

でも。

心はずっと自由になった。家の中で夫と話をすることが増えた。勉強できる時間の大切さが分かった。本を読むのも映画を観るのも、前よりもずっと味わい深いものになった。食事を用意し、家を片付け、身なりを整える。その日々の営みの中で、頭を使ってよりよくするために工夫をする。こうでなければならない、と思うことが少なくなったし、人を許して自分も許す。

こういう見方を、きれいごとだとか、自己満足だとか、他人はいろいろと評価するんだろうけど、結局は自分がどう見るかが全てだ。自分が自分の生き方に満足出来てるかが全て。そうじゃない?

自由は目の前の毎日にあるし、どんな状況でも希望を持って生きうる。

ショーシャンクの空に、いい映画でした。


娘がかわいい。

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